私のアメリカ留学
~Philadelphia臨床研究生活から得た帰朝報告~
~留学記、私の短い経験から感じた事~
~Philadelphia臨床研究生活から得た帰朝報告~
皆様こんにちは。昨年は短い期間でしたがが、数か月の留学体験をこの会報にて報告させてもらいました。私は、2014年7月末をもって、アメリカのフィラデルフィアのトーマスジェファーソン大学のShoulder and Elbow Sectionでの臨床研究を終えました。昨年とは異なり、1年3ヶ月のアカデミック生活の内容や、私の感じた事などを中心にお話させてもらいます。昨年と同様にこの文章は若手の医師の方で、留学をしたい、留学とはどんなものかという漠然とした気持ちを持ち続けている方、あるいは憧れをもち続けている方の心情を踏まえて書かせてもらいました。ただ、この文章は一医師の、個人的見解、体験が含まれるので参考程度に受け止めてください(このことは昨年も書かせていただきましたが)。
【2013年一杯の仕事内容】
私のアメリカのメンター、Dr. Gerald Williamsと、昨年報告させてもらったような仕事を続けてしました。この方はアメリカでも特に肩人工関節の症例の多いDrの一人です。1週間で、大体、人工肩関節置換術(TSA)が6から8件、Reverse Shoulder Arthroplastyは週4件くらいされています。業者さんにきくと毎年一人で年間、250から280くらいの症例数はされているとのことです。Primaryがもちろん多いですが、Revisionも結構あります。基本的には手術見学、外来見学でした。しかし、ここで、ぼーとしていても意味がないので、なんでここはこのような手技をするのか考えていました。自分としても、アメリカにきて単なる見学者で終わるわけにいかないと思い、手術中、後に質問をしていました。しかし、これがまた、少しでも発音が悪い、英語表現が悪いと、Say Againと言われました。これは、Dr.Williamsだけでなく仕事の同僚からもなんども言われました。日本人なのだから綺麗な発音でいつも話せるわけはない、臆さずに頑張れと自分に言い聞かせていたのが思い出されます。外来も同様でした。診療補助をしていましたが、一人で診察できるわけはありません。Fellowのように一人で診察できるわけではありませんでした(Fellowもアナムネだけですが)。しかし、診察を終えたあとに、患者とは結構話ができました。私から話かけていたのが多かったのですが。主には医療のことを聞いていましたが、思えばこれが面白かったです。例えると、「なぜ手術をするのを決めたのか」、「何が困っているからか」、「どこまでよくなりたいか」ということを聞けたのはよかったです。このインタビューで、日本人とアメリカ人の医療に対する姿勢、その違いのもととなるメンタリティーの違いを感じました。
【2014年からの内容】
日常業務としての内容の転機があったのは、もう少し踏み込んで勉強したいからカルテ閲覧、画像収集などさせ欲しいと伝えました。以外とDr.Williamsはいいよと言ってくれました。そうなると自分としては何か臨床研究でもできないかと画策しました。画像、カルテ情報を得ることができたので、それを自分なりに集計しました。例えていうならば、変形性肩関節症のGlenoid後方亜脱臼症例にAというDr.Williamsが考案している手術をした患者の術前と術後2年の可動域の推移などをみて、過去の他の手術をしている臨床成績と対比して、報告書やこんな研究をすすめたいという企画書を提出しました。最初は、Oh、Thanksと言われただけです。まあ、自分は興味あるし、カルテみていいからと言われているから自分でどんどんしていきました。さて、Dataが増えてくると論文にしたくなってきたなという気分が湧いてきます。昨年の会報では、まあおいおい君のなりをみて、研究してもらえるか考えるよと言われたことを報告しました。その言葉から、私は、日本から来た一人の医師がどこまで認めてやるか頑張ってやろうと思ったのが思い出されます。2014年3月にはいり、手術手技論文を書きたい、成績もどんどんまとめたいと伝えました。その時にはあっさりと、では協力するよと言われたので、執筆をすすめていきました。これならもっと早くしたいことを言えばよかったと感じました。しかし、他の部門のJefferson Universityの日本人医師や、ペンシルバニア大学のBiochemistryのResercherとこの事について話をするとすこし驚かれました。彼らがいうには、ボスがいい人だからだよと。結局、ボスの裁量次第なんだなと感じた瞬間でした。
【2014年7月の1か月と別れの時】
書きたくなる臨床研究ネタはたくさんあったのですが、論文を完成させるのは1つに絞り推敲を重ねていきました。ネタとしては前述した「変形性肩関節症のGlenoid後方亜脱臼症例に対する我々のアプローチ」という内容です。その合間も、ふつうに日常の仕事はあるので、あと1か月なんかという考えはあまり湧かなかったです。最後のOfficeも終え、別れの挨拶をスタッフにしていきました。Dr.Williamsには、この日に自分の書いた論文を提出しようと思ったので、最後の握手の際にプリントアウトした論文を手渡しました(もちろん最終的にはワードファイル、TIFF, Power Pointを送りましたが)。さあどんな反応がくるかなと思いましたが、Greatといったあっさりしたシンプルな言葉だけでした。しかし、彼から卒業証書をもらい、自分なりに頑張ったかいがあったと思った瞬間でした。強い握手、いずれ日本で会おうという言葉をかけてもらいました。私は、その言葉にたいして、[ I will aim for being a leading and teaching surgeon like you ]と宣言しました。気軽にこう言える仲になったのだなと思った瞬間です。
【帰国準備の合間】
Dr.Williamsから元気でなという言葉と、提出した論文の内容の結果を伝えられました。
スタッフと話あった結果、君がFirst Authorとしての価値があるから、Brush UpしてどこのJournalに提出するか考えるよ。ここからはアクセプトさせるのは我々の仕事だからと言われました。よしとついガッツポーズがでてしまいました。やる事やったし、留学の途中から目標にしたことができたのかなと思いました。
【最後に】
私の心境や現場で私が体験したこと、その場で何を考えていたかなどを中心にのべさせてもらいました。臨床現場でも、Jeffersonだから、Dr.Williamsだからみられた珍しい症例、また彼の臨床現場での苦悩をみられました。他にもアメリカの各地からきたShoulder Fellowと一緒に仕事ができ、いろいろな情報を得たこと、彼らやSenior Surgeonと知り合いになれたこと、日本人研究者とふれあい、私とは違う苦労を聞けたことなど、色々なことが体験できました。この原稿が皆さまに読まれている頃は、私は京都下鴨病院で臨床を再開しています。日本とアメリカはメンタリティー、システムの違いから違うところなのだという事を常に言い聞かせていると思います。でも可能なかぎり患者に還元しようと強く思っています。この原稿は帰国後2週間の時点で書いていますが、“That American life was like a dream”という思いであり、あのアメリカでの生活は過去のことなのだとすでに思っています。
留学に興味がある若手の先生方には、こんな留学もあるのだなと感じていただければ幸いです。ちなみにアメリカでの臨床研究は“Ortho Clinics of North America”に投稿予定でこの原稿を書いている際は準備をしております。この原稿が皆さまの目に触れる際にはアクセプトされていたら私としても喜ばしく、また皆様に肩人工関節のUp Dateな治療をお伝えできるので全力で取り組みBestを尽くします。
~留学記、私の短い経験から感じた事~
皆様こんにちは。私は、平成14年卒で、今年の3月まで京都下鴨病院に在籍していた森大祐という者です。2013年8月現在アメリカのフィラデルフィアのトーマスジェファーソン大学のShoulder and Elbow SectionにVisiting Scholarという立場で在籍しております。2013年5月に渡米し、6月から職場に出勤しはじめました。6月某日にA先生から留学便りを書いてくれとの依頼があり、少し考えました。まだ数か月だし、どうしようかと。A先生の依頼文面の中で、若手医師のために書いてほしいという言葉に惹かれ、投稿させてもらいました。したがって、この文章は若手の医師の方で、留学をしたい、留学とはどんなものかという漠然とした気持ちを持ち続けている方、あるいは憧れをもち続けている方の心情を踏まえて書かせてもらいました。ただ、この文章は一医師の、個人的見解、体験が含まれるので参考程度に受け止めてください。以下には留学をした動機、留学に至るまでの過程、現時点での職場での仕事内容や私の心境など、整形外科の仕事関連の事のみを書かせてもらいます。
【動機】
1) 日本では世界に比して臨床研究が不足している肩人工関節の最新技術の吸収をし、肩ドクターとしての最高の臨床技術を極めたい, 2) 頑張って英語を習得し(日常会話でなく)、アカデミックな分野でいつの日か海外のトップドクターと、対等な立場でディスカッションしたい、3) 日本でしてきたことが間違っていないか確かめて、未来の日本の医療の発展のために、学んだ知識を特に20歳代、30歳代の若い肩関節専門医を目指す先生のために伝達する、という3点が主な動機でした。
上記のような考えに至った過程、きっかけはいくつかあります。日本で臨床ばかり(私は元、京都下鴨病院というところで肩関節を専門に臨床をしていました)している自分に成長が感じられにくくなった(技術かつ精神面)、日本の学会にいっても自分の臨床面の悩みを説いてくれる機会が少ない(これは自分の吸収する面が悪いからかもしれませんが)。海外の学会に顔をだして拝聴しても、すっきりした気持ちで理解できない(原因は自分の英語力のなさですが)。こうした自分の生きていても充実感のない現状を打破するには、一度日本の外から日本を見るしかないなと思ったのが最大の動機です。
【留学に至るまでの過程】
留学で何をするか、目的がある程度はっきりすれば、それが果たせそうな所を探す事から始まります。日本の肩関節を専門とする諸先輩の留学施設の数は、調べる限り世界中見渡してもあまり多くありませんでした。一番多くの先生がいかれたのがコロンビア大学でしょうか。肩を専門とされていない先生でも,もしかしたら知っておられるDr. Neerがおられたところです。私は、日本での肩関節分野の私のメンターの一人である、船橋整形外科の菅谷啓之先生に留学先でいいところを紹介してくださいと頼みました。しかし、菅谷先生は「何でもかんでも俺に頼むなよ」と言われました。菅谷先生にこう言われ(当のご本人は多分覚えていないと思います)、僕の心に火が付きました。やはり自分の人生は肝心なところは、自分で切り開かねばと。そこで巡り会えたのがトーマスジェファーソン大学のShoulder and Elbow Section のProfessorのDr. Gerald Williams(写真)でした。もともとは、ハーバード大学の施設見学をする前に時間があり数日トーマスジェファーソン大学の施設見学をして、Dr. Gerald Williamsの手術の手際のよさに感銘を受けました。さらに、たまたま滞在ホテルに送ってあげるよと言われ、この先生の車の中で一時間くらい話をして、その先生の臨床姿勢、レジデント、フェローから今に至るまでの事を話してくださり、気に入ったのがきっかけです。余談ですが、この先生は菅谷先生の友達です。日本に帰り、メールをして、留学の目的やこんな事を研究したいとメールに書き、先方からOKがでました。ここまでが留学に至るまでの過程です。
【現時点での職場での仕事内容】
仕事の内容といえば、現時点では手術と外来の見学、こちらのフェローに近い仕事(しかし、フェローと違い、USMLEの持っていない自分でもできる簡単な診療補助、研究の簡単なData集積)です。ここの施設は肩関節の人工関節が大体年間300件くらいで、バリエーションが豊富です。Dr.Gerald Williamsは、アメリカの肩関節ドクターの中でも大家のDr. Charles Rookwood(Rookwood分類で有名です)のところでレジデント、フェローをされ、その技術を受け継いでいます。その技術を踏襲した手術や外来をみているので、日本では体験、勉強できないことを目の当たりにしています。そして、手術が全部終わったら、その日のオペに関して15分くらいディスカッションの時間を設けてくださり、討論する。さらにこれはというオペはオペレコを提出しています。この時間は憂鬱です。それは、下記に示しているようなことが原因です。後日、電子カルテにオペレコが入っているので、あとから閲覧しますが、自分の書いていることが半分も違うのに愕然と毎回します。
【現時点での私の心境】
職場における立場、仕事内容からする仕事内容に関する心境としては、めちゃくちゃ楽しいかというとはっきり言うと、楽しくないです。それでも、留学にこられただけ恵まれているなと自分に言い聞かせていますし、実際にそう思っています。苦しいひとつにやはり英語の問題があります。What’s that? と何度言われたことでしょう。かの野口英世は実はフィラデルフィア大学に少しいましたが、あまりに英語が通じないから嫌気をさしてロックフェラーに行ったみたいです。多くの英語論文を書いていたあの野口英世がそうだったのだからと、僕も割り切り、今は辛抱だと言い聞かせています。辛抱の先に光明があるのではと思うと、気が晴れてきますが。また少し苦しいのは、英語ができない故に以下の、希望した仕事は現時点ではさせられないと言われていることです。仕事においても最初行く前に臨床研究をさせてほしい、人工関節に関することを臨床研究させてほしいと伝えておきました。その申し出に対してDr. Gerald Williamsに言われたのは、まだ君の実力や人となりを分かっていない、見込みがあれば考えるとのことでした。この返事には、いいのはいい、駄目な人間はだめと判断するアメリカのスタイルを反映しているのでしょう。こう言われたからこそと、勉強しなければ、自分をアピールしなければと思っているのですが、簡単にいきません。でも、自分が選択した道ですし、Dr. Gerald Williamsの言い分も当たり前です。来年にはどうなっているか自分でも楽しみです。
【最後に】
以上の事が、留学をした動機、留学に至るまでの過程、現時点での職場での仕事内容や私の心境などになります。先にも述べましたが、私は、今現時点では仕事関連の事は楽しいと言い切れません。上記の動機、将来の目的を叶えるためには、勉強することが多すぎる、勉強している割に自己成長を感じないからです。でも、ここで勉強をやめ、楽な道に走ったら三流の整形外科医で終わるだろうと自分に言い聞かせています。若手の先生はこの文章をお読みになり、どう思われたのでしょうか。留学の目的は人それぞれです。私のようなケースはあまりないでしょうし、私のような形の留学は、諸先輩の先生方の留学とは違うはずです。しかし、留学に興味がある若手の先生方には、こんな留学もあるのだなというくらいに知っていただければと感じていただければ幸いです。
プロフィール
森大祐のプロフィール、業績、手術の実績、私の外来と満足度の結果、私のアメリカ留学、パブリシティなど。